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これは、ただのミステリ小説ではありません。
「孤島の研究所で起こる密室殺人」という”いかにも”設定でありながら、ド派手でエキセントリックな本来のミステリを逸脱した作品なのです。
読者をあっという間に読者を置き去りにする、圧倒的な数のコンピューター用語。
物語中に散りばめられる哲学。
最後までページをめくる手が止まらない、ミステリの名作です。
私の「名詞がわりの小説10選」上位に入ります。
『すべてがFになる』は、森博嗣(もりひろし)による、1996年出版のミステリ小説です。
本作は第1回メフィスト賞の受賞作であり、アニメ化、ドラマ化もされている大人気作となっています。
大学の工学部助教授である犀川創平(さいかわそうへい)と、同じく工学部の学生である西之園萌絵(にしのそのもえ)が、天才女性プログラマである真賀田四季(まがたしき)密室殺人の謎を解く、というストーリーです。
14歳の時に、両親を殺した天才プログラマ・真賀田四季。彼女はそれから、15年間孤島の研究所に隔離されています。
真賀田四季に会おうと、ある日研究所に訪れた犀川と西之園萌絵は、システムトラブルが発生し、真賀田四季の部屋の扉が開かないというトラブルに出くわします。
ようやく、システムが復旧し、開いた扉から出てきたのは、両手足を切断され、ウェディングドレスを着た真賀田四季の死体でした。
そして、部屋のコンピュータには、「すべてがFになる」という1行のメッセージのみが残されていたのです。
主な登場人物は、以下の三人。
このキャラクター達の個性と、掛け合いがこの本の魅力の一つです。
「165に3367をかけるといくつかしら?」女は突然質問する。
「55万……、5555です。5が六つですね」萌絵はすぐ答えた。それから、少し驚く。「どうして、そんな計算を?」
「貴女を試したのよ。計算のできる方だと思ったから…」女は少し微笑んだ。「でも、7のかけ算が不得意のようね。今、最後の桁だけ時間がかかったわ。何故かしら?」
「別に不得意ではありません。7は好きな数字です」萌絵は脚を組んで、気持ちを落ち着かせる。
「いいえ、貴女は気がついていないのね。初めて九九を習ったとき、貴女は、7の段が不得意だったはずよ。幼稚園のとき? もと小さかったかしら? 7は特別な数ですものね。貴女、兄弟がいないでしょう? 数字の中で7だけが孤独なのよ」
萌絵は確かに一人っ子だった。
冒頭の、真賀田四季と西之園萌絵の会話シーン。
読者を一気に物語の中に引き込む、静かながら激しいカットです。
こうして、読者は最後まで「天才」真賀田四季の雰囲気に飲み込まれてしまうのです。
Time is moneyなんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間の方が何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。
「時は金なり」。この言葉を、批判する人がいるものです。
昔からの諺や言い伝えは、思わず納得させられてしまう力を持ち合わせていて、「いい言葉だな」「そんなんだな」なんて思わされてしまいますが、それでは思考停止です。
彼は、「常識」や「当たり前」であることに常々疑問を持って、どちらかといえば厭うています。
非常に、合理的で冷静な思想を持つ彼のキャラクターは、この物語の至る所で、私たちに物事の本質を問いかけてくるのです。
「人間の手と足くらいなら細かく切断して捨てられますね」後ろから萌絵が突然言ったので、犀川はどきっとした。
「西之園君。デリカシィという言葉を知ってる?」犀川は萌絵に言った。
「珍味のことでしょ?」萌絵は答えた。こういった状況における彼女の頭の回転速度は驚異的である。
西之園萌絵は、とてつもないお嬢様。
しかし、よくみるような「純粋で世間知らずでちょっとおバカなお嬢様」ではなく、「純粋で世間知らずで、頭の回転が天才的に早い理系大学生なお嬢様」なのです。
そんな西之園さんと犀川教授の掛け合いはなんとも面白く、この作品を魅力的かつ親近感の湧くものにしてくれるスパイスなのです。
「そんな見せかけの自然なんかって思う奴がほとんどだろうね」犀川はまた煙草に火をつけた。「だけど、だいたい自然なんて見せかけなんだからね。コンピュータで作られたものは必ず受け入れられるよ。それは、まやかしだけど……、本物なんて、そもそもないこと気づくべきなんだ、人間は……。人間性の喪失とか、いろいろな着飾った言葉で非難されているけど、すべてはナンセンスだね。人間が作った道具の中でコンピュータが最も人間的だし、自然に近い」
「コンピュータが一番自然に近い」という言葉は、大変印象深いです。
1996年当時から、現在の2021年までの間で、驚くべき速さでコンピュータは浸透していき、今ではほとんど全ての人間がコンピュータなしでは生活できないほどになっています。
昨今では「コンピュータ的にならないように、人間らしく」なんて言葉をよく耳にします。しかし、25年も前からそんなことは囁かれており、我々の思想が全く進歩していないことが見て取れるでしょう。
そして、ここで犀川教授は、人工的なものに対して、「自然ではない」「人間らしくない」という言葉をナンセンスだと捉えています。つまり、「人間」自体も自然であり、自然である人間が作り出したものは、「自然」であるというのが彼の見方なのです。
「先生……、現実って何でしょう?」萌絵は小さな顔を少し傾けて言った。
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」犀川はすぐ答えた。「普段はそんなものは存在しない」
現実と夢の区別がつかなくなった経験のある人は、少なくないのではないでしょうか。
朝うとうとと寝ぼけている時の光景は夢か現か。
白昼夢をみることもありますね。正夢だってあります。
この物語では、仮想現実(Vertial Reality)も登場します。
実は、哲学的も、数学的にも、「現実とは何か」を定義することはとても難しいようです。
現実と夢に、明確な境界なんて存在しえないのでしょうか。
ちなみに、村上春樹文学は、この夢と現実の狭間を行き来して、境界が曖昧になるような世界観なので、この思想は類似しているかもしれません。
出版は、1996年で世間にはまだPCの知識が広まっていない中、本作品には大量のプログラミング用語やコンピューター用語が詰め込まれています。
2021年現在でそこそこ話題になってきた、VR(バーチャルリアリティ)やAI(人工知能)や声紋認証・顔認証やロボットなどがずらりと登場します。
当時ほとんどの人には、あまりにも専門的すぎて、ちんぷんかんぷんだったに違いありません。
現在読んでも、なかなか全てを理解できる方はそう多くはないのでしょうか。
そのため、本書は完全に理解できなくても、感覚でつかんで先に進める人の方が読みやすいかもしれません。
つまり、意味をしっかりと理解してから進みたいタイプの、真面目で理系的な人は、もしかしたら読みにくいかもしれません。
ザ・理系な話こそ、ザ・理系な人より、文系的思考回路の人の方が向いているんでしょうか。
ミステリ小説は、基本的に大衆文学に分類されます。
大衆文学の対義語は純文学。
純文学とは、日本の近代文学の中でも、読者の娯楽的興味に媚びるのではなく、作者の芸術を描いた文学です。
学生の頃、国語の教科書に出てきた夏目漱石や太宰治など、いわゆる「文豪」と呼ばれる人たちの作品です。
また、現代では、村上春樹や山田詠美、村上龍、小川洋子などがあげられます。
つまり、ただ読んで楽しいだけのエンタメ小説ではなく、どこか考えさせられるような、解釈をめぐって議論になるような作品ですね。
基本的なミステリ小説は、あっと驚くトリックや探偵の謎解きなどエンターテイメント要素が強いため、純文学と対照的で、大衆文学に限りなく近いです。
しかし、本作品は、ひとえに大衆文学とはいえないところがミソなのです。
つまり、「何も考えなくていい楽しい小説」ではなく、「自分で頭をフル回転させ数学をとく小説」なのです。
そして、物語中に散りばめられた哲学的思考や学問の問いの深さは、純文学に通じるものがあります。
大衆小説か、純文学か。
そのはざまに、この作品は異彩を放って鎮座しているのです。
森博嗣のS&Mシリーズ第一作品である『すべてがFになる』。
ミステリファンも、PC好きも、システムエンジニアも、理系の大学生も、理系男子が好きな女子も、みなさんに勧めたい作品です。
ミステリは、アガサ・クリスティや江戸川乱歩の名作をざっとしか読んだことがない私ですが、今回は興に乗って、シリーズ2作品目まで一気読みしてしましました。(もちろんこれから3作品目を読みます。)
小さい頃、夢中になって、はやみねかおるさんの『名探偵夢水清志郎事件ノート』や『都会のトム&ソーヤ』シリーズ、松原秀行さんの『パスワード』シリーズを読んでいたことを思い出し、推理小説が好きだったことを思い出しました。
また、森博嗣さんの作品は、ほとんどKindleで読むことができます。
お得に本を読みたい方は、kindleセールをチェックすることをお勧めします。(しょっちゅうやってます!)
また、オーディオブックサービスのAudible(オーディブル)でも『すべてがFになる』は聴くことができるので、興味がある方は聞いてみてください。
犀川先生の声がすごく好き…
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